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裁判官は無責任である

 投稿者:ミネメール  投稿日:2008年 1月 1日(火)15時07分28秒
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  裁判エッセイ 13 ●

裁判官は無責任である
弁護士 川口 冨男

 「裁判官は無責任である」という標題は、刺激
的ですが、その意味は、裁判が間違っていても裁
判官が責任を問われることはない、ということです。
つまり裁判官はそのした裁判について「無責任」
なのです。過失があってもそうなのだ、と言います
と、ますます刺激的に響きます。
 たとえば、一審の「原告勝訴」の判決に対し、
控訴審が「被告勝訴」の判決をしたとします。主
張や証拠が全く同じでも、こういうことは結構ある
ものです。論理的にはどちらかが正しく、どちらか
が間違っていることになるはずです。控訴審は、
一審判決を見た上で、それでもその反対の判断
をしたのですから、控訴審の判断の方が正しい
と思うのが常識的ですし、制度上は控訴審が正
しいという扱いを受けることになっていますから、
一審裁判官が「間違った」ということになります。
 では「間違った裁判をした」一審裁判官は責
任を負わなくてもよいのか、ということになりますが、
負わなくてもよいのです。一審裁判官に、たとえな
んらかの過失があっても、責任を負わないでよい
ことになっています。それは何故か、それでよいの
か、一体どういうことかを説明しなければ「無責任」
のそしりを免れません。
    ◇    ◇    ◇
 それは裁判というものが、何ものからも独立し
た裁判官が法律と良心のみに従って自由な心証
により判断するものだから、このような扱いにしな
いと裁判制度そのものが成り立たないことに根本
があります。自由な心証から生じた相違のために、
その度に責任を取らされることになりますと、裁判
官が居なくなってしまいます。自由な心証による
判断そのものが困難になるでしょう。そこで、憲法
や法律は裁判官の独立と身分保障をうたい、ま
た「報酬は、在任中減額することができない」(憲
法80条2項)という規定までもうけて対処していま
す。判例上も、裁判に「是正されるべき瑕疵が存
在したとしても…国家賠償法1条1項の違法」が
あるものではなく、裁判の違法を理由として国家
賠償の請求をしうるためには「当該裁判官が違
法又は不当な目的をもって裁判した」などの特別
の事情が必要であるとされています(最高裁判
決昭和57・3・12)。
 瑕疵のある裁判があっても、国や裁判官個人
に責任を問うことはできないのです。
    ◇    ◇    ◇
 現代社会は、自己責任の世界です。ある決断
をしたものは、その決断に伴うリスクを負わなけれ
ばなりませんし、責任があります。企業買収などと
いう超大型の買い物をする場合には、それが失
敗ということになりますと、財産上の損害を負うと
いう責任や、もろもろの責任を負うことを当然の前
提として、判断者がそういう責任を負うのもやむを
えないとの覚悟のもとに決断するものです。です
から、その決断に正当性が与えられるのです。
 今無責任問題がかまびすしい大阪市の第三
セクターの問題にしましても、あれだけ大きな財政
支出をする決断であり、その失敗は明らかなのに、
責任をとる者がいないところに根本があります。
決断の段階で、その決断についての責任をとる
仕組みを伴っていないのは不健全ですし、正当
性を持ちえません。
    ◇    ◇    ◇
 では「無責任」な裁判官の判断がなぜ正当性
を持ちうるのでしょう。一つは、裁判に間違いがな
いように憲法や法律が歴史的に積み上げてきた、
効果があると実証ずみのいろんな手続を決めて
いることです。審理は公開の法廷で、当事者の
立会のもとで行われなければならないとか、判決
は書面にして理由を付さなければならないとか、
控訴上告ができるといった、がんじがらめの規則
を設けて、裁判に万が一にも間違いがないように
監視し、間違いがあっても是正ができるようにして
います。二つには、裁判官は、厳格な試験に合格
した者に、充実した訓練を施して再度試験をし、
その合格者から適任者を選任することにしてい
ますし、任期も10年間と限定されています(再任
はできます)。
 しかし、実際はこうした制度上の担保だけで、
正当な裁判が確保できるものではありません。な
によりも裁判官が個々の裁判を真摯に、適切に行
わなければ、制度上の担保は絵に描いた餅にな
るのです。
 そしてこの点に関して、碩学の中村治朗元最
高裁判事は、「裁判官の責任なるものは、その独
立性の保障のために、これを他動的に追及する
方法はなく、もっぱら自己問責と自己反省という自
律的方法によってのみ保持されるものであって、
その意味で、高度にモラリッシュなものなのである」
とし、さらに「このような自己問責以外に責任を追
及されることのない権力的地位ほどおそろしいも
のはない。このおそろしさを感じなくなったとき、そ
の人はもはや裁判官としての適格を失ったものと
も言えるのではないか」としています。裁判官は、
こうした自覚を持っていることがなによりも大切な
のです。
 ところで、近々裁判員制度が発足します。裁判
員も裁判官と全く同じ立場で裁判に関与するの
ですが、裁判員に資格は要りませんし、裁判員に
裁判官に求められるような自覚を広く求めることも
現実的ではありません。それやこれやらで、裁判
員制度違憲論が出てくるのです。裁判員制度に
よる裁判が国民の真の支持を受けることができ
るかどうか、注目しなければなりません。

http://www.clo.jp/img/pdf/news_38_03.pdf

 
 
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